ふつうのおたくの日記

漫画と『ブルーアーカイブ』のことを中心に、ゆるゆると書きます。

「SEX」を更新すること|外湯について

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 この記事を書いてからというもの、ようやく自分の肚が決まってきて、ブルアカの二次創作をぼちぼち漁ってきた。

 そのなかでやや遅ればせながら発見したのが、この外湯氏の音MADである。一度みて、その素晴らしさに圧倒された。

 まず特筆すべきは、ケイティ・ペリーの"California Gurls"の調教の巧みさだろう。

(言うまでもなく、「調教」というのは音声調整のことである。主にボーカロイドで使われる用語。)

 「若い頃/漠然と/私は/死にたかった」から始まる有名なエッセイ漫画のパロディであるわけだが、本来英語で話しているケイティ・ペリーのことばを見事に日本語のミームに落とし込んでいる。また、英語から日本語への巧みな変換を行いつつも、「私」のところだけ「I」のまま残すなど、遊び心にも満ちている。

 

 ちなみに投稿者の本気の調教がみられるこちらの動画も素晴らしい。

 基本的なストーリーラインとしては上記エッセイ漫画のパロディをなぞっており、16歳→62歳→ケイティ・ペリー歳→922歳とムツキが年を重ねていくにしたがって、「SEX」の重要さに気が付くようになる、という流れになっている。

 もう少し言葉を補うと、16歳のときのムツキはCalifornia Gurlsに合わせて踊る普通のティーンエイジャーであるのだが、62歳のころに整体に通うことでカブトムシ(クフキング)に変わり、ムシキングバトルに明け暮れるようになる。

 しかしケイティ・ペリー歳のときに学者に転身する。探偵ガリレオの衣装に袖を通し、思考に沈潜した結果「実にSEX」という結論に辿り着く。この「SEX」というのは、ケイティ・ペリーの"California Gurls"の歌詞の一節であるが、「SEX...」という静かな歌い出しと相まって、奇妙なおかしみを示している。外湯氏はこの「SEX...」を誇張し、ガリレオの推理の末の結論も同様に「SEX...」としている。

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 そこからフィーバータイムに入るが、しばらく経ってムツキが922歳になると、『JIN 仁』のテーマソングに合わせてムツキが「SEX」と連呼する。このときには既に「SEX…」のささやき感は失われて、ムツキは音割れしつつひたすらに「SEX」とだけ繰り返すようになっている。

 この音MADが素晴らしい作品であることは言を俟たない。それはCalifornia Gurlsとエッセイ漫画を乗りこなし、922歳の一面の「SEX」に帰着させる。軽薄にネタを消費しながら、同時に性欲への異常なこだわりは捨てない。922歳の結論が「SEX」というのは、いったい、最高では無いか。いくら長く生きようと、最後はSEXなのである。

 しかしその強迫的な固着は、翻って、SEXを嘲笑してもいるだろう。原曲の、いかにもかの国らしい明るくポップなセックスは割れた音に閉じ込められ、俳人たる老人の手慰みとなり、新年のあいさつに採用されてしまう。ここにはニコニコ動画淫夢動画の影響を受けつつも、むしろ太陽の下で繰り広げられる異性愛に刃を向ける、クリティカルな契機が存在する。

 しかしそうだとして、ムツキはこの動画にどのような関係があるだろうか。California Gurlsに紐づけられたキャラクターであるという以上の意味は?

 もちろんある。「くふふ」という彼女の笑い声が、922という数字を引き出したのだから。922という数字があるからこそエッセイ漫画との接点が年齢という点で見出され、更にはガリレオの数式にも移ることができるのである。そしてこの数字に意味が無いこともまた、「くふふ」のなかに書き込まれている。これはあくまでいたずら、ジョークの類に過ぎない。数字はムツキを移動させるが、しかしそれはあくまで空虚な乗り物に過ぎない。だから軽やかなのだ。これがケイティ・ペリーの貌であれば、事態はそう簡単に進まなかっただろう。ムツキだからこそ可能になったのである。

 「カリフォールニアー」にあるように、ムツキが関心を持つ「SEX」はアコやハスミのうちにあるのであって、ケイティ・ペリーは「見たことない」。ブルアカの「SEX」でリア充陽キャの「SEX」を塗りつぶすこと。しかし、ムツキとともに、あくまで軽やかに……